DAY 20-22:6/19(水)-21(金) 大田から南部・光州へ ~20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』~

6月19日(水)。
韓国対イタリアの劇的な試合から一夜が明けた。

 

日韓ワールドカップはここで初めて休息日を迎える。

19日(水)と20日(木)は試合がなく、21日(金)と22日(土)に準々決勝が日韓それぞれ1日1試合ずつ組まれるという日程だ。

 

韓国では、21日の夜に蔚山(ウルサン)でドイツ対アメリカ、22日の昼に光州(クワンジュ)でスペイン対韓国が開催される。

俺は後者のチケットを持っていたので、次の目的地は光州だ。
もちろん本当はスペイン対ポルトガルやスペイン対イタリア、あるいはアイルランドが勝ち上がってきてくれても良かったのだが、いずれも実現はしなかった。

できれば2日連続観戦といきたかったが、蔚山から光州まで半日で移動するのはあまりにも不便で困難だったため、20日のうちに光州入りして21日はテレビ観戦に専念しようと計画したのだった。

 

というわけで、ここ大田(テジョン)では2泊3日の予定だ。

試合翌日の18日は大田でゆっくり過ごして船旅&夜更かしの疲れをとり、19日にバスで光州へ向かうことにした。

 

前夜は寝たのが遅かったので、この日は昼過ぎに起きた。

大田駅の方へぷらぷら歩くと、およそ東京では目にすることのない光景があちこちにあった。

 

適当な食堂に入ってビビンバを食べる。
石焼きじゃなくて、スチールみたいな安い器で出てくるやつだ。

それでも十分美味しかったし、安かった。

 

韓国のメシは安くてうまい。

18歳にとってそのことはきわめて重要だ。




 

食後は、ひとまず消息確認をということで、駅前のPCバンに入ってみた。
日本でいうインターネットカフェである。

店内にズラリと並んだパソコンを使い、ホットメール(懐かしい)にアクセスしてみる。
最初はキーボードをハングル入力からアルファベット入力に切り替えるのさえよくわからなかったが、慣れればアルファベットの日本語読みでメールを送ることはできた。

ひとまずこれで、親と主な友人には予定通り大田で過ごせていることは伝わるだろう。

今なら日本で使っているスマホを持って行き現地のWiFiやSIMカードを使うだけで済むのだが、当時はこうするのが日本への安価な通信手段だった。

 

今日やりたいことは最低限終わったので、あとは暇な時間を過ごす。

街はごく普通の日常だ。

 

さて、海外の一人旅でやってみたかったことの一つに「路線バスの旅」があった。

普通の人たちが乗るバスに適当に乗って、現地の生活を垣間見る。
そういうことがしたかった。

そして、コレはそれ以降の海外旅行でも結構趣味でやった。
タクシーとバスはその土地の特色がかなり出るので、用がなくても時間のある時に乗ってみるのがおすすめだ。

 

大田駅から、ちょうど人が乗り込んでいる路線バスがあったので、それに乗ってみた。
景色がよく見えるように前方の席に座る。

バスが走り出してしばらくすると、運転手のおっさんが、

「チャリ! チャリ!」

と叫びながら運賃箱をカンカンカンと乱暴に鳴らした。

 

なんか自転車に向かってキレ散らかしてんのかなと思っていたが、信号で停まるたびに

「チャリ! チャリ!」

と繰り返し言っているではないか。

なんだろうと思って運転席を見たら、俺に向かって何か言ってるのだった。

おっさんはしつこく運賃箱をカンカン鳴らしている。
そのそぶりから、意味がようやくわかった。

「運賃を払え」と俺に言っているのだ。

ごめんごめんという感じで、300ウォンくらいだっただろうか、小銭を払ったらわかってくれた。

 

東京都内や京都市内など均一区間でバスに乗るのに慣れている人からすれば当たり前かもしれないが、埼玉では均一区間のバスなど多分ほとんどなく、整理券を取って降車時にお金を払うというのが俺にとって自然なバスの乗り方だった。
しかも、始発から乗るなら整理券は要らない。

そんな習慣のまま当たり前にバスに乗ったが、隣の国に行くだけでこんなに様子は違うのかと驚いた体験になった。

 

気を取り直して、大田の街の景色を眺める。

大きな都市だが、20分くらい走れば自然が多く目に入ってきた。

日本でいうニュータウンみたいな感じの所だろうか。
人が多く降りるバス停で一緒に降りた。

下車したところでやることはないが、ぶらりと散歩する。

 

大きな川に差し掛かる橋があったので、飲み物を買って、川沿いを散歩する。

ちょうど良さそうな場所に座ってのんびりしてみた。

普段は大学で授業を受けている時間だが、こういう水曜日の過ごし方もいいものだ。

 

路線バスの行先は当然ハングルで書かれているが、駅を意味するのは「ヨク」という文字で、その読み方は知っていたので帰りのバスにはすんなり乗れた。

下校の時間帯なのか、いつしか学校帰りの高校生がバスに乗ってくる頃になっていた。

 

帰りは大田駅まで乗らず、宿に近そうなバス停で下車。

その近くのホテルに小さな人だかりとそれ以上の人数の警備が並んでいて何かと思ったら、どうやらこのホテルにイタリア代表が泊まっているらしい。

 

夕方の帰宅ラッシュなのか、大田の街では夕方の渋滞が始まっていた。

 

現地の人になったような気持ちで夕暮れの歩道を歩く。

ワールドカップ開幕からここまで連日息つく間もなく動いてばかりの日々だった。
それだけに、このゆったりとした時間は胸の中に新鮮な空気を送り込んでくれたかのようなひとときだった。




 

翌6月20日(木)。
この日は大田から南部の光州へ向かう。

といってもバスで2時間くらいの移動なので大したことはないのだが、外国の都市間移動というのはなかなか楽しみだった。

 

2泊した宿をチェックアウトする。
一昨日の試合当日をはじめ、おばちゃんにはお世話になった。

オンドル部屋は、寒い時期なら暖かくて良いのかもしれないがそれ以外の時期はただ床が硬いだけなので、冬以外の訪韓ならもういいかな…。
でも広い部屋だったので居心地は良かった。

 

「また来てね」みたいなことを言われたが、来るとしたらACLで韓国でのアウェイゲームが組まれた時だろうか。

大田シチズンって下位だったはずだからACLで当たることはないのかもしれないけれど。
(その後、大田は2017年のFIFA U-20ワールドカップの会場になり、日本代表はベネズエラに敗れたラウンド16で大田のワールドカップスタジアムを使用したのだった。)

 

大田駅の近くのバスターミナルから光州行きのバスが出ていることは前日にリサーチ済だったので、バックパックを背負ってそこへ向かう。

ハングルばかりの表記でたくさんのバスが並んでいた。
もちろん、開いているドアは日本と逆側だ。

 

木曜日の昼前なのであまり待たずにガラガラのバスに乗れた。

進行方法右の窓側の席に座り、発車後はボーッと外を眺める。
気持ちの良い晴天だ。

丸二日足らずの滞在だったけれど、大田の街を去るのは少し寂しさを感じた。

 

高速道路に入ると、MDをつけた。
今でも覚えているが、この時は高校時代からよく聴いていたB.B.MAKというイギリスのバンドをかけることにした。

「Sooner Or Later」という彼らの1stアルバムはとても爽やかで、今でも土曜日の朝などに料理しながら聴くと気持ちが良いのだ。

 

なお、彼らはその年の秋に「Into Your Head」という2ndアルバムを出して、12月に日本に来てくれた。
東京・名古屋・大阪で1夜ずつのライブだったのだが、東京でやる日は部活で行けそうになかったので、オフの日に名古屋でやるライブに青春18きっぷを使って行ったのだった。

そしたら、曲のイメージから細見の優男たちの3人組だと思っていたのに実際には上腕二頭筋丸出しのムキムキ兄ちゃんたちがステージに出てきてびっくりしたことを覚えている。

 

爽やかな曲が似合う青空と緑の木々。
初夏の旅は最高だ。

北緯が高いこのあたりの6月の気持ち良さは、例えて言えば北海道に近いのかもしれない。

 

2時間ほどの乗車で光州に到着。
こちらも引き続き晴天だ。

 

大田と同じく、駅やバスターミナルから徒歩圏内の宿を予約していたのでそこへ向かう。

大田の宿は平屋だったが、ここは雑居ビルというよりはもう少しキレイかなという程度の装いのビルにあった。

広いオンドル部屋に慣れてきた身にとっては狭く感じたが、シングルベッドとは別にデスクがあるこの部屋もまあ悪くはないだろう。
この部屋でワールドカップの中継もたびたび見るだろうから、部屋の居心地は重要だ。

ここには、日曜日の朝まで3泊する。

 

光州の街は、大田と比べるとゆるやかな田舎情緒があった。

駅前はこのような感じだ。

 

食事に関しても、大田に続き光州も、店内がピカピカではないことにこだわらなければ特に不便もない。

地元の人で混んでいる店に行けば400円や500円程度で十分おいしいものを食べられるのだから十分だ。

 

暑さがおさまってきた夕方に、光州の街をぶらりと歩いてみた。

 

「昔の日本ってこういう感じだったのかな?」

そう思うような光景だ。

 

大きなビルがある地域もあった。

韓国では、夕方になるとどの街も慢性的に渋滞している。
信号の形が日本と違っていてちょっと面白かった。

 

今振り返ると、自家用車もバスも古さを感じるカットだ。

 

最初に船で着いた釜山(プサン)とも大田とも違う街の雰囲気。

これをゆっくり感じられるのは、観光地ばかりをまわる旅ではないからこその特権である。

 

この日もワールドカップは休みだったが、試合がなくとも満足度が高い一日だった。

 

 

続く6月21日(金)。

光州での試合は翌日だが、この日はワールドカップの準々決勝が2試合組まれている。
15:30から静岡でイングランド対ブラジル、20:30から蔚山でドイツ対アメリカだ。

ということで、昼食をとってから宿に戻って1試合目をテレビで見て、試合の合間に夕飯を食べて2試合目もテレビで見ようというカウチポテトデーにした。

 

静岡での試合は、個人的な予想に反してイングランドが先制。
この試合の勝者が決勝へ進む可能性が高いことから、イングランドが勝ち進んだらもっとベッカムブームになるだろうなぁと思った。

しかし、ブラジルが同点に追いつくと、この大会の伝説の一つとして刻まれたロナウジーニョの魔球FKが炸裂!

リードされてもなお余裕があったブラジルがベスト4一番乗りとなった。

 

延長戦に入らずに1試合目が終わったので、インターバルは3時間ある。
宿のおじさんに聞いてビビンバのおいしいお店を教えてもらった。

そして、もう食えないというくらい食べまくった。

 

お腹いっぱいだったので2試合目は横になりながら見る。

グループリーグで見たドイツはべらぼうに強く感じたが、この試合もアメリカを退けて1-0で勝利。
順当にソウルでの準決勝に駒を進めた。

 

俺にとって、明日の準々決勝を観戦したらその次はソウルでの準決勝が待っている。

正直、アメリカ対韓国になったらイマイチだなと思っていたが、これによってドイツ対スペインかドイツ対韓国になることは確定したので少しほっとした。

できれば前者の対戦カードになってほしい。
そうなれば、まさにこの日韓W杯のハイライトとなるだろう。
(そして、ご存じの通りそうはならなかった。)

 

先週の今頃、6連戦の半ばから後半にかけては正直言って満身創痍だった。
楽しかったが、しんどさがあったことも否めない。

でも、今週のように水・木・金と休んでから試合を迎えられるというのはかなり体力的に大きかった。

いくら18歳だからって、休息があるのとないのでは大違いだ。
その限界となる境界線を初めて知ったのがこの1ヶ月の旅だった。

 

この3日間でかなりリフレッシュできたので、これで明日の試合はフルパワーで楽しめるはずだ。

期待で胸は膨らみ、ビビンバで腹も膨らみ、夢見心地で眠りについた。

 

<前回の6月18日分は コチラ

<次回の6月22日分は コチラ

 

 20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』
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【目次】20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』

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世界66ヶ国を旅し 114試合を海外で観戦した経験、そして16シーズンにわたりJリーグクラブのコアサポをやっていた経験をもとに、海外サッカー・国内サッカー・代表戦などの情報や海外・国内の旅行情報、そしてマイルの貯め方も独自の視点でお届け!
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(この情報は2002年6月時点のもので
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