6月25日、火曜日。
日曜の晩が車中泊だったので、月曜の夜は蚕室(チャムシル)のユースホステルの2段ベッドで思いっきり寝た。
6人部屋のうち俺以外はいつの間にか来ていたオーストラリア人男性2人組しかいなかったので、快適に眠り続けることができた。
時計を見たら9時半。
いつもだったら大学で1限の授業に出ている時間だ。
この日に始まったことではないが、この、授業をサボっているという罪悪感がまた旅の特別感を一段と高めてくれる。
さて、日韓ワールドカップは残すところあと4試合だ。
今夜はソウルで準決勝のドイツ対韓国、明日の水曜は埼スタでブラジル対トルコ。
そして、土曜は大邱(テグ)で3位決定戦、日曜は横浜で決勝戦を控えている。
今回の韓国での旅路は、ラウンド16から3位決定戦を巡り、決勝の夜は再度釜山(プサン)で過ごし、月曜にジェットフォイルで福岡に戻って国内線の飛行機で帰るという計画だ。
が、今日からはこれまでとちょっと違う。
高校1年生から一緒で大学も同じ学部・学科へ入った親友が午後にソウル入りする。
そして、準決勝と3位決定戦を一緒に観戦するのである。
なお、3決の翌日の日曜に彼はソウルへ戻り飛行機で帰国、俺は逆に釜山へ南下し一晩過ごして月曜に帰国という行程で、一緒に帰らないあたり当時から自分の協調性の無さは健在だったのだなと感じる。
せっかくなので、彼との関係性の話を先に触れておくことにする。
彼の名は、松潤。
もちろん仮名だが、嵐の松本潤くんに漢字のパッと見が似ていることを自分からネタにしていたので、私から彼のことを松潤と呼んだことは一度もないがこの連載でだけは松潤と呼ぶことにしよう。
松潤とは、高校1年生の時に同じクラスだった。
武蔵野の爽やかな風の心地よさや桜が綺麗なこと以外に取り柄がない、タバコの不始末によるボヤや近隣他校の生徒を標的にしたカツアゲが絶えないいささか治安の悪い男子校でのことである。
とは言っても、最初から席が近くて仲良くなったわけではない。
出席番号が離れていて席が遠く、彼も俺もクラスで自分から目立とうとするタイプでもなかったので、入学後しばらくは全然会話することはなかった。
そんな中、クラスで健康診断があった時、なぜか俺が全員分の学生証を回収して保健室に持って行く役割になり、めんどくせえなと思いながら番号順に一人ひとり学生証を受け取っていくことにした。
そこで、松潤から学生証を手渡されたとき、一つのことに気付いた。
「あれ、こいつ、俺と誕生日一緒じゃん!」
と。
ざっくり言えば、誕生日が同じ人は365人に一人しかいないわけで、クラスでも俺と誕生日が同じなのは彼だけだった。
さらに、血液型も同じだった。
それを機に俺から話かけたことをきっかけに、席は遠いものの休み時間などによく話すようになった。
また、帰りの電車の区間も途中まで同じで、彼と同じ部活に入った連中(俺だけ違う部だったけど)を含めて部活後に一緒に帰ることも自然と増えていった。
テスト前で部活がない期間は、すぐに家に帰って勉強するべきなのに途中の駅で下車してミスドやロッテリアでずっと喋ったりしていたものだ。
松潤は真面目だった。
クラスの生徒のほとんどが寝るかジャンプを回し読みするかエロ漫画読んでるかしていて3人しかちゃんと先生の話を聞いていなかった月曜日の5限の現国でも、彼はその貴重な3人のうちの一人だった。
(なお、俺は寝てるフリしてイヤホン付けながら 前夜にラジオ番組を録音していたカセットウォークマンを聴くのが5限の日課だった。)
正直に言って、15歳だったこの頃から真面目で利発で統率力もある彼のことは、当時も今も変わらず尊敬している。
親友ではあるが、親友という枠を超えた、人生の中でもズバ抜けて重要な存在だと言って良いだろう。
だからこそ、いろいろ誘ったり振り回したりしてしまってきたのだが、それでもいまだに、暮らす土地が近くなったり離れたりしても嫌な顔ひとつせず交友関係を保ってもらえていることに感謝しつつ、同時に誇らしさを感じるのである。
そんな彼は、俺とは性格が全然違うというか真逆の部類としか思えなかったが、生年月日も血液型も一緒だと自動的に干支や星座も一緒なので、ほとんどの占いで俺らは毎度毎度同じ結果になるのだった。
すると、俺も彼も「うん、まあ当たってるな」と同じような感想を言うのだ。
高校生の頃はそれが不思議で仕方なかったが、大学生になり、大人になると、どこかこう少し似ている点が見つかってきたので今となっては少々納得いく面もあった。
例えば、普段は真面目なのに大学時代の飲み会で酔っ払って繁華街の公園で思いっきり失礼な言葉を叫んだのに本人は記憶を失っていて翌朝にそのことを知らされたとか、
社会人になって一人暮らしを始めた彼の部屋に泊まりに行ったら「洗濯機は”展示品限り”の安い品が見つかってさ」などと得意げに言っていたかと思うと『驚きの洗浄力!』みたいにPRが書いてあるでっかいシールをそのまま貼りっぱなしにして使っていたとか、
俺ほどではないにせよ彼は彼なりにダメなところがあって(笑)、そういうところを知るとこちらはある意味安心した気持ちになったのだった。
そんな松潤は、俺と違って頻繁に授業をサボるような奴ではなかったので、俺に合わせてワールドカップの準決勝と3位決定戦に向けて韓国に行くと言い出したのは少し驚きがあった。
火・水・木・金と4日休めば2試合見られるのだから手軽で効率も良いのだが、彼がそこまで大胆に授業を連日サボったのは多分この時だけじゃないだろうか。
もちろん、2週間一人旅になると思い込んでいた俺にとっては心強い話でもあった。
そんな流れがあり、準決勝と3位決定戦のチケットは2枚買っておき、この6月25日は昼過ぎにソウル近郊の仁川空港に到着する彼を迎えに行ったのである。
ソウル駅から仁川空港へ向かうリムジンバスは往復だと安かったので、自分の分は往復きっぷを買った。
到着した仁川空港のバス乗降場はこのような感じ。
日本語の表記もあることには驚いた。
日本からの飛行機は定刻で到着したようで、到着口の所で待っていたら松潤が登場。
普段は週に何度も顔を合わせているのに、急に外国で待ち合わせをするというのはどこか照れくさいところがあった。
今度はソウルの街へ向かうリムジンバスに乗車。
「韓国語、喋れるようになった?」
「なるわけねえだろ!」
こうしたくだらない会話も、久しぶりに感じる。
思えば、日本語で話したのは先週月曜に下関港で売店のおばちゃんと喋って以来9日ぶりのこと。
知らず知らずのうちに、こんな風に日本語で会話することに飢えていたのかもしれない。
途中、漢江付近の道からは今夜の準決勝の舞台であるソウルワールドカップスタジアムの姿も見えた。
俺はほぼ手ぶらだったが松潤は1週間分の荷物があるので、ひとまず蚕室のユースホステルに向かった。
同じ部屋のオーストラリア人2人もいて、しばらく部屋で談笑。
キックオフは20:30なのでまだ先だが、夕方には試合のチケットを持って宿を出た。
軽く腹ごしらえをして、地下鉄でスタジアムへ向かうことにする。
最寄り駅は「ワールドカップスタジアム」駅。
まさにスタジアムの目の前にある駅である。
地下鉄を降りて外に出ると、先週の大田(テジョン)や光州(クワンジュ)での試合と同様に真っ赤な人波だ。
この試合も、おそらく95%以上が韓国人。
ドイツ人はほとんどいない。
19:30頃、スタジアムの中へ。
スタンドへの入口を振り返るとまだまだ入場前の人がたくさんいる。
大田でのラウンド16、光州での準々決勝に続き、今日も座席は2階席。
夏至の時期かつ北緯の高いソウルは特に日没が遅い。
ちょうど夕焼けの美しい時間帯だった。
両チームのウォーミングアップが始まる。
ドイツの試合を見るのは6月5日のグループリーグ第2戦 カシマでのアイルランド戦に続き2度目である。
その時にも書いたが、相変わらずみんなデカい。
アップ中から威圧感を受けるほどだ。
事実、この大会でのドイツは強い。
準々決勝までの5試合で失点はわずか「1」。
アイルランド戦でロビー・キーンに食らったあの劇的な同点ゴールだけだった。
今日はビジター扱いとなる韓国側では、アップ中からゴール裏でコレオ。
早くね? と思いつつ、何と書いてあるかはわからなかった。
こちらが一応ホーム扱いのドイツ側ゴール裏だが、ご覧の通り真っ赤。
果たしてドイツ人はいるのかどうか、それすらもわからないほどだった。
この日のチケットも、カテゴリー2。
バックスタンド2階席のかなり上段のドイツ寄りコーナーである。
韓国での4試合は全てカテ2を買っていたが、この試合が一番ピッチが遠かった。
海外販売分のかなり早い時期に当選したものだったので、今の俺が経験則から実践している「ワールドカップなど大きな大会は直前に買う方が良い位置の席を買える」ということの礎となる経験にもなった。
外国で一人でサッカー観戦をすると試合前の時間を長く感じることがよくあるのだが、松潤のおかげでこの日は時間があっという間に過ぎていった。
キックオフが迫り、韓国のゴール裏からは先ほどと同じコレオが再登場。
アンセムとともに選手が入場。
本当はドイツ対スペインやドイツ対ポルトガルになってほしかったが(本音)、とにもかくにもワールドカップの準決勝が始まる。
この日の観客数は65,256人。
超満員だ。
この日はお互い1stユニフォームを着用。
ドイツが白、韓国が赤いユニフォームだ。
試合開始早々、こちら側のゴールへドイツがいきなり攻め込む。
DFなのになぜか上がっていた金髪のラメロウが豪快なファーストシュート。
今日もやってやるぜという勢いを感じるワンプレーだった。
韓国も8分、右サイドをえぐったチャ・ドゥリのマイナスのクロスをイ・チョンスが強襲。
GKカーンがなんとか横っ飛びで弾くという決定機を作った。
そこからは、お互いにハードな潰しで相手の自由を奪う時間が続く。
特にドイツは、韓国の選手がボールを持とうものならあっという間に一人目・二人目が潰しに来るという激しいプレス。
韓国としてはワンタッチかツータッチでボールを繋ぐしかなく、そうなれば当然パスの正確性は落ちる。
そこでズレたボールをドイツが拾って攻撃へという展開が多かった。
決定機とまではいかなかったが、クローゼやバラックがエリア付近でゴールを狙うというシーンは複数作れた。
特に機能していたのが、クローゼの周辺を自由に動き回った小兵ノイビル。
平均身長185cm近いスタメン構成のドイツだったが、ひときわ小柄な彼がライン間でボールを受けたり前方のスペースへ飛び出したり変幻自在の動きを見せ、韓国は対応に追われた。
対する韓国は、前半のシュートは2本のみ。
決して守勢に回っていたわけではなかったが、ドイツの圧力と高さに苦しみ、イタリア戦やスペイン戦のようなアタッキングサードで3人・4人と突っ込んでいくシーンはほとんど作れなかった。
途中、ドイツがチャンスを逃すと大げさに立ち上がってリアクションしてるダイスラーのユニフォーム着用の男がいて「あ、ドイツ人いたのか」と思ったところ、よく見たら日本人だった。
前半は0-0で終了。
どちらかというとドイツペースではあったが、韓国も持ち前のハードワークでよく粘っていた。
彼らの試合は今日で3試合目だったが、ここまで勝ち上がってきたのは幸運や誤審の助けはあったにせよ、決してマグレではない。
派手さはないが、締まった内容の前半だった。
後半も、ドイツがじわじわ攻めながら韓国が粘って防ぎ逆襲を試みる、という展開が続く。
ドイツはクローゼに代えて191cmのビアホフを投入し、より空中戦に勝機を見出そうとする意図を感じたが、サイドを効果的に使ってハイクロスという攻撃は限られた。
どちらも決定機を作れないまま、後半も半ばを過ぎた。
韓国にとってはイタリア戦・スペイン戦に続く3度目の延長戦も視野に入りかけた後半30分。
ついに均衡が破れる。
自陣右サイドでボールを拾ったドイツは、前方の広大なスペースへノイビルを走らせる。
すぐさま韓国も2人が捕まえに行ったのでノイビルがシュートへ持ち込むのは不可能だったが、彼はさらにゴールライン際まで縦への突破を敢行。
2人の間を通すグラウンダーのクロスを送った。
中にいるのはビアホフだったが、クロスがマイナス過ぎてそこには合わない。
…と思ったら、後方から走り込んできたバラックがビアホフの前に割り込んで右足シュート!
GKイ・ウンジェが渾身のセーブで止めたボールを今度は左足で上手に引っ掛けてネットを揺らした。
65,000人が詰めかけたスタジアムは沈黙。
その後、少しだけ姿が見えたドイツサポーターから歓声が沸き起こった。
今大会のここまで5試合で全て先制してきたドイツ。
6試合目の準決勝でも、やはり先制ゴールを奪ってみせた。
この重い展開でもさすがだった。
先制した3分後にも、FKからローデの弾丸シュートで追加点に近づいたドイツだったが、それ以降は韓国の攻勢に押されてくる。
シュートはヒットしなかったものの、ソル・ギヒョンや途中出場のアン・ジョンファンにボールが届き始める。
後半アディショナルタイム1分には、エリア内左で捨て身のボールキープを見せたソル・ギヒョンが「頼む!」とばかりに中央へパスを繋ぐ。
ドイツの選手が誰もいないその場所には、パク・チソンとソン・ジョングクが余っている!
これで同点か!
6万人の願いを乗せたパク・チソンのシュートは右上へ外れた。
韓国にとってこの試合で唯一の、そして最大のチャンスが消え、その後ドイツは難なく時間を消化。
カーンのゴールキックが飛んでいる間に試合終了のホイッスルが鳴った。
息詰まるような緊迫感の試合は、1-0でタイムアップ。
決勝進出を果たしたのはドイツだった。
敗退による数秒の静寂ののち、全スタンドから響き渡る「テーハミング!」のコール。
ゴール裏だけでなく、メインスタンドもバックスタンドも、1階席も2階席も、スタジアム全体が韓国代表を称えた。
少しだけいるドイツサポーターの方へ来たドイツ代表の選手たち。
優勝候補に挙げられていた彼らにとっては準決勝突破はノルマに近い部類だったと思うが、「優勝しても一切不思議ではない」くらいの強いチームであることは間違いないだろう。
韓国代表もこちらの方へ。
決勝進出はならなかったが、彼らの足跡を称賛するように花火が上がった。
彼らにはまだ、3位決定戦が残っている。
すぐに帰ってもどうせ地下鉄の駅は大混雑だろうからということで、バックスタンドをちょっと散歩。
ドイツの選手たちがクールダウンしている所では軽く人だかりができていた。
試合後もしばらく席でだべっていたので、地下鉄の駅へ行く頃には65,000人超の観客もかなりばらけていた。
地下鉄に乗って蚕室に戻る。
日本語で試合の感想をあれこれ喋ることも、なんだか久しぶりで楽しかった。
スタジアムを出たのが23時頃だったので、ユースホステルに着いたのは日付が変わる頃。
それからシャワーを浴びたりカバンの中身の片付けをしたり寝る支度をしたりしていたら、時刻は2時近くなっていた。
松潤は午前中の日本発だったので家を出発したのは朝だったはず。
そして彼は2段ベッドに入って一瞬で寝息を立てた。
この、試合後特有の充足感に満ちた眠気を感じるのもあと1回。
明日から3日間の休養(観光)を挟み、土曜日の3位決定戦に備えよう。
<前回の6月23-24日分は コチラ >
<次回の6月26-28日分は コチラ >
★ 20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』
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(この情報は2002年6月時点のものです。)
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