6月30日、日曜日。
日韓ワールドカップ開幕から31日目、ついに最後の日を迎えた。
韓国での試合は昨日の3位決定戦をもって全て終わり、今夜20:30キックオフの横浜での決勝戦 ブラジル対ドイツを残すのみだ。
俺の帰国は明日の福岡行きジェットフォイルなので、今日は釜山にさえ行ければ十分だ。
釜山で何か予定があるわけでもない。
が、松潤は今日夕方の飛行機で仁川空港を発って帰国するので、それに間に合うよう、お互い昼前に大邱を発つことにした。
11時過ぎの列車で、彼は北へ、俺は南へ向かう。
本当は思いっきり昼まで寝たいくらいの疲れと達成感のようなものがあったが、9時頃には起きる必要がある。
適当に身支度をして、バスに乗って東大邱駅へ向かった。
この日はどんよりとした空模様。
駅の近くで適当に朝食をとった。
見慣れてきたこの信号機を見るのも明日で終わりになるが、改めて見るとなんでこんなマッチョな体型にしたのだろうか。
松潤と俺はそれぞれソウル行きと釜山行きの切符を買って、ちょっと薄暗い東大邱駅で列車を待つ。
俺が先に出て松潤を大邱に置き去りにするのも変な感じなので、松潤が乗るセマウル号の少し後の釜山行きムグンファ号に乗ることにした。
俺は急ぐ一日ではないし、少しでも安くなるムグンファで十分だ。
乗り心地も、大学生にとっては何も問題ないレベルだし。
駅の売店には、「韓国代表よ、ありがとう!」みたいな感じの紙面がズラリと並んでいた。
やがて、大柄な赤いボディを減速させながらセマウル号がホームに迫ってきた。
松潤が韓国に来るまでの1週間はずっと一人でいることが当たり前だったが、旧知の彼と5日ちょっと一緒に過ごしたことで、また一人になるのがなんとなく寂しく感じられた。
でも、よく考えると、明後日の大学でまた会える。
そう気づくと、寂しさを感じていたのが急におかしくなり、列車に乗った友を見送る時もなぜか楽しい気持ちに変わっていった。
再び一人になって、暗いホームでベンチに座る。
ここからは旅のクロージングだ。
またここに来る時は、何年も先かもしれない。
もしかしたら、もう二度と訪れることはないかもしれない。
その景色やにおい、風の感触などまでしっかり記憶しておこうと改めて思った。
ソウルから来たムグンファ号に乗り込み、2週間前に釜山から大田まで乗った時と同じ方角の席に腰掛ける。
過ぎていく景色を眺めながら、韓国に着いた初日の光景やその頃の気持ちを思い返していった。
約2週間韓国に滞在して、わかるようになったこともたくさんあるけれど、まだまだわからないこともたくさんあった。
きっと、これから先どんな土地を旅したってそう思うことだろう。
だから、旅を擦り返すことに意味がある。
東大邱から約1時間半で釜山に到着。
都会のソウルとは少し異なり、ここは半島の南端だけあって旅情を感じる街だ。
釜山ではグループリーグの3試合しか開催されなかったため、最後の試合からもう半月経過していてワールドカップの熱気のようのものは無い。
宿に行って荷物を置いても、再び手ぶらで街に出ても、そのへんの食堂でメシを食っても、「普通の日曜日」という空気だった。
この街は、ワールドカップという夢からとっくに醒めて、日常に戻っていたのだった。
天気もどんよりした曇りなので、せっかくだからという理由だけで釜山ワールドカップスタジアムへ行くことにした。
地下鉄3号線の総合運動場駅が最寄り駅だったが、独特な屋根の形状のスタジアムが見えてから到着するまで意外にも結構時間がかかった。
近くで見ると、屋根のインパクトをさらに感じる。
コンコースから絶対に濡れない造りになっているのは良いことだ。
駅から歩いてきた道を振り返る。
地図で見た印象と違い、起伏のある道のりだった。
スタジアムの外周をぐるっとまわり、特に中へ入れるわけでもなかったのでそのまま戻ることにした。
釜山なら、いつかまたアジアの大会などで来ることがあるかもしれない。
(その17年後、俺は行かなかったが2019年のEAFF E-1選手権で日本代表が韓国代表とここで対戦した。)
こうしてひととおり競技場を見物したのち、今度は港の方へ向かった。
釜山は港町なので、長崎や函館などと同様に坂道が多い。
そんなこの街を、あてもなくぶらぶら歩いた。
そう、地元に住んでいる者のような感覚で。
観光客がおよそ行くような所ではないディープなエリアに食い込んでいくと、それはまたなかなかの雰囲気だった。
街なかはこのような感じ。
道幅が広い。
港の付近は市場になっており、魚の強烈なにおいがする。
背景には、山の麓の坂道に張り付くように家々が伸びている様子が見えるだろう。
まさに釜山、といった光景だ。
路地には所狭しと車の縦列駐車。
この「ごみごみ感」が、ソウルには薄かったが釜山には濃厚な感じがする。
夕方になると、次第に小雨が降り始めてきた。
無為に歩くのも気が滅入るので、バシッと景気づけしたろ!と思い、決勝のテレビ観戦の前に韓国での最後の晩餐ということで大盛のプルコギ定食みたいなメニューをガツ食いした。
(それでも800円くらいだったと思う)
こうして周囲が暗くなってきた頃、宿に戻り、テレビ観戦の準備をする前に風呂に入った。
この後は、もうやることはひとつしかない。
20時過ぎには韓国でも生中継が始まっていたので、部屋の小さいテレビを点けて決勝戦の模様を眺めた。
1998年のオープンから既に何度か観戦している横浜国際総合競技場だったが、こうしてワールドカップの決勝戦として国際映像で見るとまるで何万キロも離れた行ったことのない場所のように思える。
ドイツ代表のメンバーも5日前の準決勝で見たばかりだったが、不思議と自分には縁の遠い世界の映像かのように思えた。
現地観戦ばかりにこだわって旅を繰り返したことで、逆に生で観戦できない試合が相対的に遠く感じられるものになったのかもしれない。
自分でも意外な、高揚感とは真逆の落ち着いた気持ちで見ていた試合は、2-0でブラジルが勝利。
よく考えたら、この大会を15試合観戦してきた中でブラジル代表は一度も見る機会がなかった。
彼らはグループリーグが韓国開催、決勝トーナメントが日本開催だったので、ちょうど俺とはすれ違いだった。
そんなカナリア色した華やかなチームが、なんというか神秘的な存在のように思えた。
せっかくなら、いつかブラジル代表も見てみたいよね。
この1ヶ月の旅の中で、そんな、今後に向けたひとつの宿題が見つかった。
(その宿題は、3年後、ドイツのケルンでコンフェデレーションズカップ ブラジル対日本を観戦したことで果たすこととなる。)
生で見てきた15試合それぞれの広大な視野の景色とは裏腹な小さなテレビ画面の中で、日韓ワールドカップは幕を閉じた。
日本では今、どんな感じでこの映像が見られているのだろうか。
うちの家族も、今夜の中継を見ていただろうか。
松潤は中継が始まる前に帰宅できただろうか。
日本でたくさん試合に付き合ってくれたN藤さんは、大学の友達は、バイトの仲間は…
急にいろいろな顔が頭に浮かんだ。
それまで一度もなかったけれど、帰国の前日にして初めて「そろそろ帰りたいな」という気持ちになってきた。
そんな自分が意外だった。
ワールドカップの終わりを、6月の終わりを、旅の終わりをささやくように、窓の外では単調な雨音が続いていた。
<前回の6月29日分は コチラ >
<次回 最終回の7月1日分は コチラ >
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(この情報は2002年6月時点のものです。)
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