“DAY 1:5/31(金) 旅のはじまり ~20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』~

2002年5月31日。

それは、アジアで初めてのFIFAワールドカップ、日韓大会が始まった日だった。

 

それから20年経った今振り返る、31日間の記憶。

まずは5月31日、この日はソウルでの開幕戦 フランス対セネガルのみ組まれており、私のW杯初観戦かつ日本で初めて開催されたW杯の試合は翌6月1日であったため、まず今回は半ばプロローグに近いような形でW杯開幕までの出来事を辿っていこうと思う。

 

 

振り返れば、まだ日本代表がFIFAワールドカップに出場したことがなかった1990年代前半には既に日本のワールドカップ誘致は進行。
(調べたら、開催地立候補は1989年だったとのこと)

当時浦和で生まれ育つ過程にあった小学生の私には大人の事情はよくわからなかったが、1998年のフランス大会の次にあたる2002年大会は日本と韓国が激しい誘致合戦を繰り広げており、1996年6月1日に開催国が決まる予定だったことは鮮明に覚えている。

 

その誘致合戦の終盤にあたる1996年3月16日、学校から帰って自転車で向かった駒場競技場でのJリーグ開幕戦 浦和レッズ対柏レイソルの試合前にはサウジアラビア人(だったっけ?)のFIFA理事、アブドゥラ・アルバダル氏が視察に訪れたのを歓迎するセレモニーが行われたことをよく覚えている。

なぜそんなに記憶が明確かというと、小学6年生だった私はその日がまさに卒業式だったからである。

 

さて、その後5月に入っても日本と韓国が拮抗した状態を続けた末、本来の開催国決定日の前日にあたる5月31日に「やはりそうなるか」という発表があった。

 

それは、日本と韓国の共同開催。

初の共催となる「FIFAワールドカップ2002 KOREA/JAPAN」が決定したのだ。

 

全64試合の大会のうち、両国で32試合ずつを分け合い、開幕戦は韓国、決勝戦は日本で行われることに。

その後、両国の開催地が10都市ずつとなり、日本での開催都市は札幌・宮城・茨城・埼玉・横浜・新潟・静岡・大阪・神戸・大分に決定。
有力と思われていた愛知や屋根設置を渋った広島は落選、不利と思われていた新潟がサプライズ当選となった。さらに、私が高校1年生だった1999年の夏だったと思うが、決勝戦の会場は私の家から近い部類の埼玉スタジアム2002ではなく横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)に決まった。
これには、埼玉県民として残念ではあるが、収容人数の多さや立地の良さという点から致し方なしという気持ちはあった。



 

そして、高校3年生になった2001年からチケット販売に関する動きが開始。

日本在住者が日本開催の試合に申し込むには「国内販売枠」で、加えて開催自治体の在住者には「開催地枠」で、それぞれ郵送で希望を申し込む形式で最初の販売機会があった。
今思うととんでもないアナログな方法だったが、春の日曜日だったか、高3の友人たちと4人でどの試合・どの席種に申し込むかキャッキャと話しながら申し込んだことを懐かしく感じる。
そして、どちらの枠も申し込める全量を書き込んだにもかかわらず全滅の結果だったことはそれ以上のインパクトだった。
(埼玉は市ではなく県が開催地枠の対象で倍率が高かったのも影響したと思っている)次いで、これまたえらいアナログな方式だが、Jリーグのチケットは半券部分の裏面に氏名や住所を書ける欄があり、そこを使って2001年はJリーグ観戦者の中からワールドカップのチケットが当たる「Jリーグ枠」という今思えば意味のわからない抽選枠もあった。
アウェイも含め毎週観戦していた俺だったが、当然これもかすりもせず。

そう、W杯半年ちょっと前の時点で「当選チケット0」という状況だったことを今のうちに明かしておこう。

 

これが、最終的には「15試合観戦」という結果に変わるのだから人生とはわからない。

こうした経験を18歳にして生身で味わったことは本当に大きかったと感じている。

 

さて、そんな中でも世界各地ではワールドカップ予選が繰り広げられていった。

私は当時からプレミアリーグが好きで、特にこの頃若手選手ばかりの布陣でUEFAカップ(現・UEFAヨーロッパリーグ)やチャンピオンズリーグで欧州中のビッグクラブを打ち破り躍進していったリーズ・ユナイテッドに夢中だった。

また、異常なレベルのサッカー熱があり、ガラタサライが2000年のUEFAカップを制したトルコにも非常に強い興味を持っていた。

 

そのため、ワールドカップ予選はイングランド代表とリーズの選手が多いアイルランド代表、そして毎試合バカスカ発煙筒が焚かれていたトルコ代表を応援。

特にリーズでもアイルランドでもPK・FK・CKを任されていた左サイドバックの背番号3、イアン・ハートが私のアイドルだった。
足は速くないしディフェンスもそうでもないけれど、プレースキックでは「悪魔の左足」と恐れられる威力・精度でゴールを陥れてきた彼を、ぜひ日本で見たかった。そんな、本来なら世の中の高校3年生が受験勉強一色になっているはずの2001年秋、ワールドカップ予選をドキドキしながら見ていた私は、負傷明けだったベッカムの劇的FKでW杯出場を決めたイングランド、オランダ・ポルトガルと同じグループに入りながらオランダを倒しプレーオフでイランも破ったアイルランド、同じく欧州プレーオフを制したトルコの突破に安堵した。
また、エルナン・ダリオ・ゴメス監督に率いられ激戦の南米予選で快進撃を見せ初出場を決めたエクアドル代表の熱気あふれる映像にも感化され、これら4チームを特にワールドカップで見たいと強く感じるようになった。

 

ちなみに、ワールドカップ後、20歳になった2004年に初めてヨーロッパ3週間放浪を実現し、ガラタサライの試合もリーズの試合も現地で観戦。
2005年にはリーグ優勝の懸かったイスタンブールダービーも生観戦できた。
トルコ代表の試合も、日韓W杯のほか2005年ワールドカップ予選では現地イスタンブールでギリシャ戦を観戦。
エクアドルにも大学卒業前の2006年に足を運ぶことができ、高校生だった頃に抱いていた夢はひととおり実現できたと言える。その後、2001年12月1日に本大会の組み合わせ抽選会が開催。
グループHの日本代表は、埼玉でベルギーと、横浜でロシアと、大阪でチュニジアと対戦することが決まった。

また、グループステージではグループAからDは韓国開催、グループEからHは日本開催となる中、トルコは残念ながらグループCだったが、アイルランドはグループE、エクアドルはグループG、そしてイングランドはスウェーデン・アルゼンチン・ナイジェリアと同居し「死のグループ」と評されたグループFに入り、見たいチームの多くが日本開催の試合にハマってくれた幸運な抽選結果となった。

 

それを受けて12月21日頃からチケット国内販売分の2次販売があり、それはひたすら電話をリダイヤルしまくる早い者勝ちという根気の要る販売方式だったが、実はその前に日本開催分のチケットを手に入れる『抜け穴』があった。

 

それは、海外販売分のチケット。

 

当時の方式では、日本在住者は海外販売分の日本での個別試合チケットや指定会場セット券(VST)は申し込めないものの、チーム指定チケット(TST)はどのチームでも申し込むことができた。

そこで、日本でグループリーグ3試合を戦うエクアドルのTSTを自分名義で4人分、イングランドとアイルランドはサポーターが多いため落選の危険性があったため代案としてイングランドと埼スタで戦うスウェーデンのTSTを当時から仲良くしてくれていた浦和の仲間の人の名義で2人分、それぞれ申し込んだ。

 

結果はどちらも当選。

これにより、電話受付の国内販売分にトライする前に、
6/2(日) イングランド対スウェーデン(埼玉)
6/3(月) イタリア対エクアドル(札幌)
6/7(金) スウェーデン対ナイジェリア(神戸)
6/9(日) メキシコ対エクアドル(宮城)
6/12(水) スウェーデン対アルゼンチン(宮城)
6/13(日) エクアドル対クロアチア(横浜)

の6試合は確保できた。

 

なお、エクアドルのTSTのうち2人分は両親の分として確保。

正直言って、高3だったこの頃、母はともかく、父とはあまり関係が良くなかった。
うちの父は「正しいことしかしない男」。野球は好きだったがサッカーにもあまり興味を持っていなかった。
一方で俺は、高校も時折サボりながら浦和の応援に週2日を費やし、勉強は最低限しかせずバイトにいそしみ、時折あんなことやこんなことで帰宅が0時を過ぎることもあるという模範的とは言い難い高校生だったので、根本的に意見の対立があった。

いや、そもそもほとんど喋らなかった。

 

父は父で「また悪い大人とつるんでいるのか」と考えていたし、

俺は俺で「どうせ父親に言ったってわかるわけない」と考えていた。

 

20年経った今では、俺にも2人の子がいて、両親は計4人の孫を持つ祖父母になった。

2021年12月の天皇杯決勝も3世代で観戦したし、関係はまずまず良好だ。世間一般くらいには。

そうなってくれた大きなきっかけは、ワールドカップのエクアドル戦だったと思う。
そのあたりの話は、6月3日や6月9日の回に書こうと思う。



 

話をチケットの件に戻そう。

TSTで6試合確保できたので、あとはアイルランドの3試合とうまくいけば決勝トーナメント、無理であれば適当に空いてる日のチケットをということで電話販売に臨むこととなった。

 

電話販売というと当時は当たり前だったが、特定の番号へひたすらリダイヤルしまくるという頭のおかしくなるような販売方法。

記憶が定かではないが、電話受付の初日は木曜日か金曜日だったか平日で、なぜか携帯電話からの通話は不可だった。

したがって、高校生の俺にとっては夕方以降しか電話するチャンスがなかった。

 

初日は結局繋がらず。

この時点で、インターネット情報では決勝と準決勝と日本戦、そして最大の注目カード・イングランド対アルゼンチンは完売となったことを知った。

 

2日目、またも夕方にトライしたらなんとか1度だけ受付窓口にたどり着く。

完売となっている試合が決勝トーナメント全試合にまで及んでいることを確認し、それ以外でチケットを持っていない日の中から、日本での開幕戦となるアイルランド対カメルーンがカテゴリー1のみ空いていたのですかさず確保。
これには心底安堵した。
これでイアン・ハートを生で見られる! と。

 

3日目は土曜日?だったかな?
完売した試合が新聞等で報じられたこともあり、この日は一段と繋がりやすくなった。
その結果、1通話で1試合しか買えない仕組みだったが、ドイツ対アイルランドとサウジアラビア対アイルランドのそれぞれ一番安いカテゴリー3、そして「カテ3じゃなかったらいいや」という気持ちで空き状況を聞いたチュニジア対ベルギーとベルギー対ロシアを連続で確保。
これにより、日本でのグループリーグ11試合をゲットしたことになる。

 

ひとまず、ここで日本開催分のチケット入手戦略は終了。
日本での決勝トーナメントは取れなかったので、代案として考えていた「決勝トーナメントは韓国に2週間行く」という計画に切り替えることとした。
そして、年明けの海外販売分先着販売で韓国でのラウンド16、準々決勝、準決勝、3位決定戦を連破!
ラウンド16はポルトガル対メキシコ、準々決勝はスペイン対ポルトガル、準決勝はドイツ対スペインかな?
…なんて思っていたら、実際には想像もしない対戦カードの連続となったことはのちのちの記事で追って話すことにしよう。



 

ここまでつらつらと書いてきたが、皆さんお感じだろう。

「こんなにチケット取って、学校どうするの?」

と。

 

その通り。

当時怖いものなしだった俺の結論は、
「大学1年生なら多少単位を落としても挽回できる。試合の無い日と関東での試合日は大学に行くけど、それ以外はサボる」

だった。

 

現在子育て中の身からすれば、息子からこんなこと言われたらぶん殴るけれど(笑)、うちの親は特に何も言わなかった。

何か言ったところで、自分で決めたことは変えない奴だとわかっていたからだろう。

 

実際に4月に大学に入学すると、特に週4の英語のクラスが本当に仲良くて、男は良い奴ばかりで女の子はかわいい子が多かった。

4月にはじめましてだった直後とは思えないくらいほとんどのクラスメイトとすぐに仲良くなり、ワールドカップに行けるのが羨ましいと言われつつも、その楽しいクラスでの愉快な授業を週に2回前後欠席するのが内心ちょっと寂しくもあった。
もう一度書くが、英語のクラスで一緒だった男子は本当にナイスガイばかりで、外見も中身もカッコいいやつばかりだった。
その後グッドデザイン賞を受賞するデザイナーになった奴もいる。

そして、女の子は本当にかわいい子が多かった。クラスの女子の半数はストライクゾーンだったと言っても過言ではないくらいだった。

 

そんな風に、ワールドカップの思い出は、18歳から19歳になる途中の甘酸っぱい思い出でもある。

こう書きながら、ちょっと今、うるっとしている。

 

みんな元気だろうか。

どんな人生を送っているだろう。

そのあたりも、後日の話の中、特に韓国に渡る日のあたりで書こうと思う。

 

 

さて、いわゆる「バイロム問題」でチケットの発送さえかなり遅れた日韓W杯。

開幕まで1ヶ月を切ってもチケットは届かなかった。

海外販売分のチケットは5月半ばにDHLで届いたが、日本での初戦を含む国内販売分は5月20日を過ぎても音沙汰なし。

これは本当に試合日に間に合わなくなるんじゃないかと焦ってきた5月23日(木)にようやく郵便が届いた時は、心の底からほっとしたことを強く覚えている。

 

厳密に言うと、国内販売分はチケットが家に届くのではなく、チケットは大きめな郵便局に保管され、本人限定受取郵便の指定に。

その引き換えに必要な通知書が家に届いたと夕方に母親から電話があったのだ。

 

一応1年次から4年次まで体育会の部活に所属していた俺はその時部室にいて(6月は1ヶ月部活を休むという前提で入部。今思えばとんでもない新入部員だ)、部室では私用の電話禁止だったのに我を忘れて電話に出てしまい、ユナイテッドとギグス好きの先輩にその後軽く怒られたのは今でもよく覚えている。

そして翌日、夕方に授業が終わってから郵便局の開いてるうちに行かねばと急いで武蔵浦和駅近くの郵便局に向かい、国内販売分5試合のチケットが入った封筒を手にしたのだった。

 

これで全試合のチケットが無事開幕前に到着。

一つ目の念願が叶ったその瞬間だった。

 

日本語とハングルと英語で書かれた日韓ワールドカップのチケット。

縦の大きさといいフォントの感じといい、現代の細長くスタイリッシュなW杯チケット券面と比べると、どことなく不器用さといとおしさを感じるのは単なる思い入れに過ぎないだろうか。

 

こうしてチケットが手元に揃い、俺にとってのワールドカップ初戦は6月1日、新潟での日本開催開幕戦、アイルランド対カメルーンに。

その前日となる5月31日の金曜日は、一旦部室で先輩たちに挨拶をし、英語のクラスメイトにも「俺、明日は休むわ。新潟行ってくる」と告げた。

 

 

もう、後ろは振り返らない。

人生で一度きりのこの1ヶ月間を、前に前に突き進んで全力で生きる。

 

そう思いながら、ジダン率いる前回王者フランスがセネガルに0-1で敗れる試合の中継を見ながら、新潟に向かう明日の荷物とカメラをリュックに詰めた。

 

高校時代から実は結構真面目に写真をかじっていた俺は、バイトで貯めたお金と地域振興券(時代!)をもとに買ったキヤノンのEOS 55という一眼レフを使っていたが、高3の時に憧れの人が使っていたコンタックスのARIAというマニュアルフォーカスの一眼レフカメラと50mmレンズを購入した。

50mmというのは、望遠でも広角でもない、最も人間の視覚に近い画角のレンズだ。

 

「自分の目で見た景色と同じ写真を、このワールドカップで残していく。おっさん、いや、じいさんになった頃の自分にも鮮やかに思い出せるように」。

そう決めたから、選手のことをよく写せるようにズームできる望遠レンズ付きのEOSではなく、このレンズを装填したARIAをワールドカップの毎試合に連れて行った。

 

そうして撮った写真たちも、明日の6月1日分以降、各記事で掲載していこう。

トップ写真以外、何の補正もせずに生の空気が伝わるように。

ヘタクソなりに、その下手ささえ20年前の空気を現在に連れてきてくれることだろう。

 

リュックの中に、少しの着替えとタオル、そして相棒となるカメラを詰める。

外ポケットには、新潟への新幹線の割引きっぷとMDプレーヤー。

ディスクのスロットには、当時爆発的に流行っていたLINKIN PARKの「Hybrid Theory」を挿し込んだ。

 

 

さあ、準備はできた。

夢に見てきた旅が始まる。

 

 

<次回の6月1日分は コチラ

 

 20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』
目次はコチラ!

【目次】20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』

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(この情報は2002年6月時点のもので
す。

 

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