ワールドカップ観戦は体力勝負だ。
前日、札幌から帰り、大学の授業に出て、夜はバイトをして23時過ぎに帰宅。
今日は午前中だけ大学に行って、午後から列車を乗り継いで鹿島へ。
20:30キックオフなので試合が終わるのが22:30頃で、その後JRが特別に深夜に増発した臨時列車を乗り継いで夜中の3時過ぎに帰る…というプランだ。
ちなみに翌日には日本開催で最も不人気なカード、「カメサウジ」ことカメルーン対サウジアラビアが埼スタで予定されていたし買おうと思えばチケットを買える余地はあったのだが、その翌日はまた朝から日帰りで神戸に行く予定だったのでカメサウジは行かずにその時間をバイトに充てることにした。
いずれにしても、鹿島から夜中に帰ってからのこの流れは体力的にW杯前半戦のヤマ場だと思っていたので、この日のドイツ対アイルランドは体力を抑えめにして節度を持って楽しんでいこう。
…なーんて思うはずがないのが18歳の頃の俺。
6月1日のカメルーン戦でどっぷり楽しませてもらったアイルランドサポーターの大群とまた道中をともに過ごせるかと思うと楽しみで仕方がなく、昼で大学から上がると支度もそこそこに15時頃の電車で浦和を出発した。
この日一緒に観戦するのは、当時の俺にとって唯一年下の浦和の仲間であるT。
ちなみに彼はその一年後くらいにゴール裏からフェイドアウトして音信普通になった。
まあ、ゴール裏というアンダーグラウンドな世界ではよくあることだ。
10年、15年と生き残っていられる者の方が稀な世界なのだから。
Tは埼玉の北部に住んでいるので、彼が乗ってきた高崎線に俺が合流する形。
よく考えたら、俺の年下ということはTは高校をサボってきたのか。さすがだ。
当時は上野東京ラインなんて代物はもちろんないので、上野・東京と乗り換える。
東京駅にもすでにアイルランドサポーターの姿が。
地下ホームへ進み、総武快速線の快速エアポート成田に乗る。
今じゃこの名称だってなくなってしまった。
平日の午後だけあって、アイルランドサポーターはチラホラいるものの乗客自体は多くない。
向かい合わせの席に座って喋りつつダラダラしながら、乗り換えの成田駅へ鈍行の旅が進んでいく。
…はずだったが、途中の千葉で大量にアイルランドサポーターが乗車!
東京駅から鹿島へ列車で行くには、成田・香取と乗り継いで鹿島神宮へ行くのだが、総武快速線のほとんどは千葉や津田沼どまり。
つまり、東京周辺から千葉行きに乗ってしまっていたアイルランド人たちが成田方面へ乗り継ぐためにこのエアポート成田に押し寄せてきたというわけだ。
当然俺らのボックスの空席2つにもアイルランド人が座る。
Tははっきり言って全然頭良くなかったので「ハロー」と「ビア」ぐらいしかわかっていなかったが、俺はプレミアリーグ中継とUKロックによる偏った英語力は多少あったので、二人とTを繋ぐような感じで話していく。
どうやら彼らは、アイルランド人だがイギリス国内に住んでいるらしい。
住んでる街はどこだか忘れたが、好きなクラブはセルティック一択とのこと。
いかにもアイルランドらしい。
そんな時間が30分ほど経ち、成田駅に到着。
ここで、俺らを含め鹿島へ向かう大多数の乗客が降りる。
成田空港まで行こうとしていた人が乗っていたとしたら地獄だっただろう。
成田駅では香取方面へ向かう銚子行きの普通列車が来るのを待つ。
水曜の午後に、この光景。
この頃は当たり前だったスカ色の113系が奥に写っているのが懐かしい。
ここからは編成が短いので、入線した途端に車内は満杯になる。
俺も座ることはできず、緑色の大男たちの中で満員電車に揺られる構図となる。
もはや車内は日本語よりもビール混じりの英語の方が多く聞こえる、そんな状態だ。
香取まで40分、そこから鹿島神宮行きに乗り換える。
ここまで来るとホームも階段も満杯で、はっきり言ってイカレた光景だ。
ここからさらに20分。
大混雑の中ようやく18時頃に鹿島神宮駅に到着。
普段は試合のある日でさえ静かなこの駅が、ホームの上はもちろん、駅前も凄まじい人だかりに!
4日前も「ここ、俺の知ってる新潟じゃない!」と思ったが、この日も思わずにいられなかった。
「ここ、俺の知ってる鹿島じゃない!」
と。
比率で言えばアイルランド人が8、ドイツ人が2、というくらいだったが、どちらもビールをガバガバ飲むことは共通しているので、鹿島神宮駅前は『総・飲んだくれ状態』だった。
かと言って、一応ビールを飲むわけにはいかない18歳と17歳の少年にはやることが特になかったので、とりあえずカシマスタジアムへ歩くことにした。
あまり覚えていないが、鹿島臨海鉄道に乗らなかったということはカシマサッカースタジアム駅は使用不可になっていたのかもしれない。
30分か40分くらい歩いてカシマスタジアムに到着。
はっきり言ってこのスタジアムには嫌な思い出しかない。
浦和視点で言えば、ワールドカップに向けた改修前で屋根が外されていた灼熱の1999年9月のVゴール負け、そして改修後の2001年8月には台風で一週順延になったのちの水曜開催のナビスコカップ準々決勝第2戦で2-0リードからの逆転負けと、記憶に残る敗戦が続いていた。
もっと言うと、W杯後の2002年10月も2003年3月もカシマでは負けた。
ここで快哉を叫ぶには、2004年10月、エメルソンのスーパーゴールによって2-3で勝つあの日までこの先2年半の時を要した。
ただ、その勝利が転機となり、2004年からは5年間カシマでは負けなしだったこともよく覚えている。
さて、そんなカシマスタジアムだが、今でこそ北スタンドがビジター側で南スタンドがホーム側になったが、この頃は北がホーム側。
今日の俺たちのチケットは国内販売分のカテゴリー3で、ホーム側となるドイツ側ゴール裏の2階席前列だった。
ということで、本来なら絶対に足を踏み入れることのない鹿島側のゴール裏に入る機会だったのでちょっと楽しみにしていた(笑)。
自分たちが居たアウェイ側ってこんな風に見えるんだなーと新鮮な気持ちになったことを覚えている。
さて、試合の前に、ドイツとアイルランドが属するグループEの状況を見ておこう。
初戦では、アイルランドはカメルーンに1-1のドロー、ドイツは札幌でサウジアラビアを8-0で粉砕。
ということで、ドイツは今日勝てば早くも決勝トーナメント進出が決まる。
アイルランドとしては、普通に考えればカメルーンとの2位争いになるので、ドイツ戦はなんとかドロー以上で「サウジに圧勝すれば突破」という状況に持ち込みたいところだ。
この頃のドイツ代表を語る上で、ブンデスリーガが欧州の舞台を席巻していたことに触れないわけにはいかない。
バイエルン・ミュンヘンは98/99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)であの「カンプノウの悲劇」によって優勝を逃したが、続く99/00シーズンもベスト4、そして00/01シーズンではCLを制覇した。
翌01/02シーズンは、バイエルンがベスト8、そしてラメロウ・バラック・シュナイダー・ノイビルらを擁するレバークーゼンがダークホース的存在から決勝まで駆け上がった。
決勝ではジダンに衝撃ボレーを見舞われ準優勝となったが、この2クラブのほかにもリバプールのハマンやスパーズのツィーゲら実力者が揃うドイツは優勝候補の一角に推されていた。
しかも、ほぼ全員デカい。
日韓W杯の登録メンバー23人中、180cm未満なのは5人だけという、何か別の競技と間違えてるんじゃないかと思うくらい恐ろしいチームだ。
アイルランド代表については6月1日のカメルーン戦の観戦記で詳しく触れたので割愛するが、ドイツに比べれば小粒なアイルランドとしては今日も大挙して押しかけたサポーターの力を借りるしかない。
このチームの武器であるメンタリティが問われる。
便利とは言い難いカシマスタジアムだが、グループリーグ2巡目の注目カードの一つとあって観客はどんどん増えていった。
メンバー発表の頃には、バックスタンドもゴール裏もギッシリだ。
これまで見た3試合を上回る収容率ではないかと思うほどスタンドは満員。
そのボルテージの中、ドイツとアイルランドの選手たちが入場する。
ここはヨーロッパなのか?
そんな、圧倒的な空気だ。
ドイツの国歌はカッコいい。
そして、アイルランドの国歌斉唱はそれ以上の凄まじい声量だ。
さあ、ドイツが連勝で貫録を見せるのか、強豪との試合でこそ真価を発揮するアイルランドが笑うのか、注目の一戦が始まる。
試合が始まり、ほどなくわかる。
ドイツは、モノが違う。
はっきり言って、強すぎる。
アイルランドも悪くないが、スピードもフィジカルも足元の技術も、ドイツの方が全て一段上。
デカいのに上手くて速い、そんな選手が7人も8人もいるのだ。
パンチのあるイングランド、後方から前線まで上質なイタリアも強く見えたが、「剛」のドイツはそれ以上だ。
ベスト4くらいまでなら普通に勝ち上がってくるだろう。
スコアが動く前からそう感じずにはいられなかった。
0-0のままでいられた時間は短かった。
前半19分。
中盤の左サイドにそーっと流れたバラックが左足でふんわりとしたボールをペナルティエリアへ放り込む。
DF2人とGKギヴンの誰もがわずかに届かない所へ送られたボールに合わせたのは、サウジ戦でハットトリックを達成したクローゼ!
エースというより若手の有望株という立ち位置だった彼の大会4ゴール目で、ドイツがこの試合でも順調に先制点を奪った。
逆側のゴール裏から見たら「なんであんな所に蹴り込んだんだ?」と思うようなテキトーに見えた浮き球は、実はバラックが計算し尽くしてコントロールしたボール。
ドイツってこういう崩し方もできるのか!
そう唸らされたゴールだった。
主導権を握れないアイルランドは、押し込まれながらもロングカウンターで反撃の機会を窺う。
オフサイドギリギリで抜け出したダフの猛ダッシュはGKカーンの猛烈な飛び出しに阻まれた。
前半は1-0のまま終わったが、内容には確実に差があった。
2-0、いや、3-0で終わることだってあり得る。
そんな印象だったのに、1時間後には全く違う様相になったのだからサッカーはやめられない。
ドイツのペースは、彼らがこちら側に攻める形となった後半も変わらない。
偉丈夫かつスキンヘッドにもかかわらず軽快に入れ替わったヤンカーがGKギヴンと1対1になったが、オシャレ気味に狙ったシュートはわずかにそれる。
これが決まっていたら3-0や4-0もあり得た。
アイルランドもイアン・ハートが得意の位置から直接FKを狙ったり、トリックプレー気味にロビー・キーンが意表を突いたりするが、カーンの守備範囲の広さを意識し過ぎたのか枠に飛ばない。
こうなったら、アレしかない。
後半28分、アイルランドのミック・マッカーシー監督が動く。
ハートとギャリー・ケリーを下げ(この二人はリーズ所属のチームメイトであると同時に甥と叔父の関係でもある)、フレッシュなリードと193cmのベテランFWナイアル・クインを投入。
後ろを1枚減らし、サンダーランドでもお馴染みの『クイン大作戦』を決行する。
大柄なDFが揃うドイツ相手にも、クインのエアバトルは通用した。
適当なロングボール、適当なクロスも、クインが競ることでチャンスになる。
彼の落としからロビー・キーンがゴールに迫るという場面がたびたび生まれた。
カーンの鬼気迫る飛び出しで同点ゴールとはならなかったものの、ドイツは確実にこれを嫌がっている。
繰り返したら破れるかもしれない。
後半途中までとは打って変わり、ドイツがボールを持てなくなった。
アイルランドのロングボールを跳ね返すのに精一杯で、セカンドボールを拾えない。
粗削りな攻撃ながら、ドイツを押し込むアイルランド。
より一層ボルテージを上げるアイルランドサポーター。
だが、残り時間はどんどん減っていく。
そうして迎えた後半45+2分、伝説として語り継がれるゴールが生まれる。
アイルランドの自陣から、ちゃんと狙っているとは思えない大雑把なロングボールが飛ぶ。
体が流れながらもバックヘッドで軌道を変えるクイン。
その先にはロビー・キーン。
ワンタッチで走り込むコースを作ると、カーンの胸元を突き破るように右足を一閃!
カーンの手とニアポスト内側に当たったシュートがゴールネットを揺らす。
そして、スタンドを揺らす狂喜乱舞の
「ッッィイイェェエエエエエエエーー!!」
の大絶叫!!
俺のまわりにも、ドイツ側だったにもかかわらず潜んでいたアイルランド人が興奮して2階席の最前列に突っ込んできた。
中立のはずの日本人観客たちも驚愕と絶叫を挙げた。
不可能を可能に変えた同点ゴール。
その熱狂の中、ほどなくしてタイムアップの笛が鳴った。
優勝したかのようにガッツポーズや抱擁を繰り返すアイルランドの選手たち。
負けたかのように意気消沈するドイツイレブンと、怒りを隠せないカーン。
1-1の引き分けだったが、試合後のさまはそれだけ対照的であり、こんな終わり方になるとは全く想像できなかった。
アイルランド側はゴール裏もバックスタンドもお祭り騒ぎ。
まだ勝ち点2のチームとは思えない(笑)。
それはまた、ドイツがそれほどまでに強いチームだったことの裏返しでもある。
その難関をドローで乗り越えたアイルランドは、6日後のサウジアラビア戦で勝てばおそらく決勝トーナメント進出が決まるだろう。
数試合で命運が決まるワールドカップでは、時として、序盤で「風」を掴んだチームが実力以上の強さを発揮する。
アイルランドは、この試合で間違いなくその「風」を掴んだ。
カシマからの帰路は、また果てしない。
22:30頃に試合が終わり、余韻に浸りながらゆっくりしていたこともあり、スタジアムを出たのは23時頃。
鹿島神宮駅から東京方面の臨時列車が深夜に設定されており、それに乗って東京駅へ、そしてこちらも特別に臨時増発されていた京浜東北線で南浦和まで帰るというプランだ。
最高の試合を目の当たりにした後に長い時間歩くのは苦にならない。
バス乗り場が混んでいたので鹿島神宮駅まで3kmちょっと歩くことにする。
Tと試合の感想で盛り上がりつつアイルランド人たちが騒ぎまくっている所で一緒に楽しんだりしながら、0時近くに鹿島神宮駅へ。
当然ホームはえらい混みようだったが、1本見送って次の列車に乗れた。
東京駅まで2時間くらいだっただろうか。
アイルランド人だらけの通勤ラッシュのような車内で過ごすむさ苦しい時間は本来なら苦痛であるはずだが、車両のそこらじゅうから湧き上がるジョークやチャント、そしてイングランドフ●ックオフ的な話などで大盛り上がりだったので、その時間は不思議と早く感じられた。
酔っぱらってたからか車内の網棚に乗っかって寝る人間(下の写真)も多発していたのは、ワールドカップの中でもこの試合に参戦した者しか目にすることのない光景だっただろう(笑)。
深夜2時過ぎの東京駅なんて普段中に居られるはずのない場所なのだが、この日は山手線も京浜東北線も特別に終電以降も増発。
東京駅のホームは夜中とは思えない人の数だった。
京浜東北線は終点の大宮行きはなく、車庫のある南浦和までの設定だけだが、それだけでもありがたい。
南浦和行きの臨時列車はさすがに空いていた。
徐々に試合の興奮から醒め、日常に戻る。
普段見ることのない深夜の車窓は、いつもの京浜東北線とは違って見えた。
Tはネットカフェで始発を待つらしく、赤羽で降りた。
うちの実家に泊まるよう事前に言っておいたのだが、彼はそういうのは苦手らしく固辞されていた。
赤羽を過ぎるとさらに乗客は減る。
終着の南浦和で降りたのは俺を含めてごくわずかな人数だったと記憶している。
本当は浦和駅まで列車に乗せてほしかったのだが、南浦和どまりの臨時列車しかないので1駅歩く。
一日を通じてたくさん歩いたし、列車に乗っていた時間もほとんど立っていたし、丸12時間興奮しっぱなしで行動していたといっても過言ではない。
かなり疲れていたはずだが、それなのに深夜の散歩も案外あっという間に感じられた。
家に着いたのは3時半頃。
あくる日の大学の授業は2限の英語からなので、それに間に合うように9時頃には起きよう。
4限まで出席したら、当面最後となるバイトだ。
翌日の金曜日はまた朝から神戸に向かうから、バイトから帰ったらなるべく早く寝よう。
…そんなことを思いながらも、カシマでの熱戦の記憶がまだ鮮明に残っている。
想定では、明け方近くまで行動していたら帰宅後はきっと爆睡だろうな…と思っていたのに、浅い眠りのまま朝を迎えた。
それほどの試合を、この目で見て、この耳で聴き、この体で感じることができた。
その感覚が、どうしようもなく嬉しかった。
<前回の6月4日分は コチラ >
<次回は6月7日ー8日分は コチラ >
★ 20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』
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(この情報は2002年6月時点のものです。)
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