前夜が2時近い就寝だったため、どっぷり眠って松潤と二人揃って起きたのは昼前だった。
この日は水曜日で、埼スタで20:30キックオフとなるもう片方の準決勝、ブラジル対トルコをテレビ観戦する以外に予定はない。
木曜・金曜も試合がなく、土曜日の朝に3位決定戦の開催地・大邱(テグ)へ向かうまでソウルでの滞在が続く。
なんとなくだが、せっかくなのでソウルから1時間程度で行ける水原(スウォン)のワールドカップスタジアムにも行ってみたかったので、そこは木曜に行くことにして、水曜は南大門あたりをぶらぶらしてから思いっきりメシを食おうということで街へ出た。
南大門では例によって日本語でたくさん声をかけられつつ、
「お兄さん!ユニフォーム!ユニフォーム! 完璧な!ニセモノ!」
と大声で呼びかけられた時にはさすがに笑った。
さらに歩いてちょいと洒落た感じの区画に出た。
南大門みたいなごちゃごちゃした所は東京だとアメ横くらいしかない印象だったが、このあたりはあまり日本と変わらない感じの街並みだった。
その後、夕方にはガイドブックにも書かれていた「ドラム缶の上で焼く焼肉」が有名な学生の街・新村(シンチョン)へ。
ここは延世大学の近くということで歳の近い若者が多く、値段の安い食堂も多々ある。
その中でも、雑多な感じの店内に置かれたドラム缶の上で肉を焼き、それをサンチュとともに食べるということを繰り返すここでの時間は野趣あふれる感じで楽しかった。
当時18歳の俺らにとって、平日の16時頃から堂々と焼肉を食べるなんてことは普段まずないこと。
大学を豪快にサボりながら罰当たりなことをしている楽しさもあり、一人前600円くらいの安さだったがそれを食べた後に追加でもう一人前頼んでしまった。
二人で三人前を食べ、それでも一人あたり900円。
完全に満腹になった状態で、ユースホステルに帰る前にソウルで一番の繁華街である明洞(ミョンドン)に寄った。
さすがにここは、「ソウルの原宿」と呼ばれるだけあって賑やかだ。
行き交う人たちの服装も、南大門や新村とは明らかに違う。
18時とか19時頃の時間帯だったと思うが、平日でも何やらフリーライブのような催しをやっていた。
たしかに原宿のような、活気のあるエリアだった。
当時、ソウルだけでなく韓国中のあちこちで看板やCMに出ているメガネ姿の男性がいたので、その俳優さんのことは帰国後もよく覚えていた。
その人は、翌年、日本でも一躍有名となった。
そう、それは「冬ソナ」の『ヨン様』ことペ・ヨンジュンさんだったのである。
なんだかんだ言って昼からずっと歩いていたので、お腹の埋まり具合も相まって、準決勝の中継をテレビで見るはずがこの日は早々に寝てしまった。
1-0でブラジルが勝って決勝進出、敗れたトルコが3位決定戦に回るということを知ったのは翌朝のことだった。
木曜は、予定通り水原に行こうということで、昼頃にソウルから南へ向かう電車に乗った。
日本の京浜東北線103系のような、水色一色の古めかしい車両。
小学生の頃に戻ったような懐かしい気持ちで1時間くらい列車に揺られた。
水原でやりたいことは試合のないワールドカップスタジアムを訪れることくらいだったので、さっそく向かう。
今振り返れば世界遺産の水原華城や長安門などにも寄って観光らしいことをすれば良かったのにと思うのだが、サッカーと音楽とラジオと食べることと女の子くらいにしか興味がなかった年頃なので、そのあたりはガン無視してバスに乗車。
15分ほど乗って着いた場所は、これはまた綺麗な、翼のような屋根が印象的なスタジアムだった。
つい10日くらい前に、ラウンド16のスペイン対アイルランドの死闘が繰り広げられた場所。
その試合がここでの最後のワールドカップとなったが、まだその熱が少しばかり残っているような気がした。
スタンドの近くまでは入れなかったが、柵の合間からメインスタンドを撮ってみた。
もう14時を過ぎていてお腹がペコペコだったので、メインスタンドの向かいにあるレストランっぽい所で昼食をとることにする。
俺はプルコギ定食を選択。
注文を待っている間、なんかちゃっかり日韓ワールドカップの大会公式Tシャツを着て行動している松潤をムダに撮った一枚。
今更だけど、俺もこういう大会公式モノを1着くらい買っておけば良かったな。
その後、ACLでもお馴染みの水原三星ブルーウィングスのオフィシャルショップも覗いたりして、水原への日帰りは終了。
食ってばかりの一日が今日も終わった。
そして金曜日。
ソウルで過ごすのはこの日が最後だ。
お金がかからない散策もある程度飽きてきたので(笑)、この日はちょっと裏通りを攻める。
写真で振り返ると俺は一体何をしたかったのだろうと思うような写真ばかりだが、なんか路地裏などの写真をいろいろ撮っていた。
こうした風景のどこにインスピレーションを感じていたのか全く不明だが、とりあえずソウルにはこういう面もあったということは今も記憶している。
そういえば東京でも山手通りなどでこんな感じの場所があったような気がする。
最後は明洞の裏手にあった小さな食堂で晩飯にしたのだが、このお店のことはよく覚えている。
店名の看板が日本語で
「生肉おからご飯草原」
という意味のわからない店だったからだ。
中身は普通の食堂だったのだが、いざ食べようとし始めた時にも驚いたことが。
さて器を持とうとスープの入ったお椀に手を伸ばしたら、その寸前でお椀がスーッと動くではないか。
「なんじゃこりゃ! イリュージョンか!?」
と思ったら、また動くお椀。
なにこれ!と狼狽する俺に、松潤が冷静に教えてくれた。
どうやら、お椀の底が濡れていてなおかつテーブルが少し傾いていたので、それでお椀がかすかに動いたようだったのだ。
味は全然覚えていないが、店名とお椀のイリュージョンによってソウル最後の晩餐は強烈なインパクトを残したのだった。
そんなこんなで、特に人の役に立つような経験は何もない3日間だったが、ソウルでの日々は満腹の繰り返しとなる食事と 久しく遠ざかっていた日本語での会話によって大いに英気を養える機会となった。
食って寝て喋る。
その繰り返し。
松潤ともその時に言っていたが、まさに獣のような怠惰な3日間であり、フットボールがなくても十分に楽しい時間だった。
思えば、それは「一人ではできないこと」の積み重ね。
韓国に渡ってから一人旅を1週間続けてきて、一人でも不自由なく旅できるものだなと思ってきたのだが、案外「一人ではできないこと」というのは多かった。
それに気付くことができたことも、調子に乗らず気持ちのバランスを保つ上で良い経験だった。
明日は朝からソウルを経つ。
そして夜には、韓国での最後の試合となる3位決定戦。
俺にとっても日韓ワールドカップ観戦の最終戦だ。
6月1日から始まったこのワールドカップをたどる旅も、いよいよ最終章に突入する。
<前回の6月25日分は コチラ >
<次回の6月29日分は コチラ >
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世界66ヶ国を旅し 114試合を海外で観戦した経験、そして16シーズンにわたりJリーグクラブのコアサポをやっていた経験をもとに、海外サッカー・国内サッカー・代表戦などの情報や海外・国内の旅行情報、そしてマイルの貯め方も独自の視点でお届け!
もちろん東京オリンピックも10日間のチケットを当選済みで、ラグビーワールドカップも『チケット入手のコツ』を編み出して日本戦を含め開幕戦から決勝まで13試合を観戦。
2024年は夏にマイルを使って家族でパリオリンピック観戦旅行を計画中!
(この情報は2002年6月時点のものです。)
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