DAY 32[FINAL]:7/1(月) 旅の終わり。そして、新しい日々のはじまり ~20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』~

7月になった。
今日で、2週間の韓国への渡航が終わる。

そしてそれは、1ヶ月にわたる日韓ワールドカップ観戦の旅の終わりも意味する。

 

窓を開けると、昨夜降っていた雨はいつの間にか止んでいた。

今日は船と飛行機を乗り継いで帰る。
12時頃に釜山港を出るジェットフォイル「ビートル2世」で国境を越えて博多港へと渡り、福岡空港からJASの国内線で羽田へ飛ぶという計画だ。

 

これは単純に金銭面を考えた上での選択。

「ビートル2世」は普通席なら7千円ほど、JASの航空券も【6月3日に札幌でのイタリア対エクアドルに行った時】【6月10日に大分でのチュニジア対ベルギーに行った時】と同様に2ヶ月前に買えば1万円均一で乗れる特別運賃があった。

今のように釜山から東京までLCCがあるような時代ではなかったので、こう組み合わせて移動するのが一番安かったのである。

ついでに言うと、韓国への往路は「日韓共同きっぷ」を使って下関港から船に乗ったので、帰りも別の船舶ルートを使うと気持ち的にもおさまりが良かった。

 

 

釜山の出港は昼なので、宿をチェックアウトする前に少し釜山の街なかを散歩することにした。

こうして異国の土地を歩くのも、次はしばらく先になるはずだ。
その時は、まず最初はどの街を歩くことになるだろうか。

ロンドンか? いや、やはり最初はアジアとヨーロッパの交差点であるイスタンブールかな…

そんなことを思い浮かべながら、昨日歩かなかったエリアへ足を踏み入れた。

 

昨日述べた通り、釜山の街はもうワールドカップという夢から醒め、新たな日常を送っている。

日本もきっと、徐々にそうなっていくか、あるいは既にもうそうなっているのかもしれない。

 

釜山もまた、ソウルや大邱などと同じように、小奇麗なエリアの中でも端々にこうした昔ながらの光景が残っていた。

ちょっと日本語が違う気もするけれど。

 

プレステ2の広告がちらっと見えているのも懐かしい。

当時はこれが最先端のゲーム機だった。

 

地下鉄にも乗ってみた。

 

ひととおり歩いたのち、宿に戻り、最後の身支度をする。

チェックアウトし、宿のおっさんにカムサハムニダと告げる。
2週間韓国に居ても韓国語はろくにわからないままだったが、俺でも言える数少ないフレーズの一つであるこの言葉を口にするのも、当面はこれで最後かもしれない。

 

バックパックを背負い、釜山港へ向かう。

日本から持ってきていたビートル2世の乗船券とパスポートを手に、出国と乗船の手続きをする。

行きは丸半日かかった航路をジェットフォイルなら3時間半で到達してしまうなんて不思議な気がした。

 

月曜の昼だけあって、船内はガラガラだった。

よく考えたら、平日のこのルートなんて普段誰が使うんだろう。
そんなことを思いながら出港を待った。

ちなみに、2000年前後は利用が伸び悩んでいたこのビートル2世だが、翌年の冬ソナブームを機に需要が一気に増えて増便するようになった。
そんなさまを、ガラガラの船内で出港を待っているこの時点で想像するのはかなり難しかった。

 

やがて船は、ゴゴゴゴ…という音を立てながら釜山の港を離れ始めた。

韓国での2週間の旅も、ここで終わり。
それぞれの街に特有の雰囲気があり、2度雨に降られた以外は天候にも恵まれ、様々な試合で興奮を味わった。

初めての海外一人旅は、この時はまだ振り返るには早いかなという気持ちではあったが、それでも一生忘れられないものになることは間違いないと確信していた。

 

ジェットフォイルは小柄なので、往路に乗ったような大型客船と違って景色はあまりよく見えない。

釜山の街が離れていくのをもっとじっくり眺めたいと思っていたが、海面に近い窓からはまもなく海と空しか見えなくなっていった。

 

ジェットフォイルに乗ったのはこの2年前に佐渡へ行った時以来だったが、今回も独特の乗り心地。
「ブォーーーーーッ」と音を立てながらグングンと進んでいく。

フェリーが「大海原の中をゆっくりと進んでいく」ような感じあるのに対し、ジェットフォイルは「海面の上を飛び跳ねていく」ような感じなので、体感も景色もまったく違うのである。

カブトムシ(ビートル)というよりも、トビウオと言った方がふさわしいような乗船体験だった。

 

海上にいると、どこが領海の境目なのかはわからない。

たとえ日本の領海内に入ったとしても、ひたすら同じ景色が続く中で「日本に帰ってきた!」と実感することは不可能なのだが、乗船時間が半分を過ぎるとさすがにここは日本なのだろういう気がしてきた。

船内の地図で見ると、日本の対馬はこんなにも朝鮮半島の近くにあったのかと驚く。

ここなら釜山から1時間ちょっとで着くのだろう。
ある意味、福岡よりも近いくらいだ。

 

大型フェリーのようにデッキへ出たりすることができないジェットフォイルの中、座っているだけの単調な時間も3時間が過ぎた。

やがて、遠くに陸の影が見えてきた。
あれが九州だろう。

ほどなく船内に音楽が流れ、博多港での入国手続きの案内などがアナウンスされる。

ああ、俺は日本に帰ってきたんだな、という実感が湧く。

徐々に福岡の街並みがはっきりと見えるようになり、ビートル2世は博多港に到着した。




 

下船すると、視界に日本語ばかり飛び込んできたことに感動した。

ここは、日本だ。
当たり前だが、なぜか急に安心した気持ちになった。

ここから先は、万が一何かあってたとしても家にたどり着くことはできるだろうから。

 

パスポートを見せ、税関の申告(当然何もないが)を済ませると、名実ともに日本への帰国だ。

日本語の看板、見ず知らずのまわりの人たちの日本語での会話…。
当たり前だと思ってきたことばかりが、とても新鮮に感じられた。

 

そういえばと思い出し、携帯電話の電源を入れる。

2週間前に下関から海に出て以来、韓国では使えないので一度も電源を入れなかった。
電波が立ったことを確認し、センター問い合わせ(死語)をする。

思っていたよりメールが少なかったので、まあ返事は羽田への飛行機の中で考えることにしよう。

 

時刻は16時。

午前中の中途半端な時間に食べてたきりだったので、腹が空いた。
飛行機は福岡空港発18:30頃なので、その前にラーメンでも食べておこう。

 

実は、韓国ではラーメンらしきものを一度も食べなかった。

冷麺は食べたが、それ以外の麺類がどうにも美味しそうに見えなかったからだ。

そのため、帰国した途端、急にラーメンを食べたくなった。
無性に、どうしようもなく、今すぐにでもラーメンが食べたくなってきた。

 

といっても福岡の土地勘はほとんどないので、近くにあった本屋に入り、そのへんにあった福岡ラーメンガイドみたいな本を立ち読みすることにした。

いくつか店の名前と地図をざっくり覚え、天神へ向かった。

 

さて、ここが一番いいなと思っていた目当てのお店に向かうと、夕方の一番人が少なそうな時間帯にもかかわらず何人か列に並んでいた。

店先にはびっしりと有名人のサインが並ぶ。

 

列の後ろに待ち、少し並んでから店内に案内してもらった。

このお店は、かなり変わった構造をしている。
一人ひとりが味に集中できるよう、カウンター席それぞれにのれんや仕切りがあり、周囲の人の様子がまったくわからない。

どっちみち俺は一人だから良いのだが、二人とかグループで来た人はどうするのだろうか。

 

のれんごしに食券をお店の人に渡した。

数分後、向かいからまたのれんごしにラーメンが到着。

湯気の中に顔を突っ込むように、麺をすすり、スープを飲んだ。

 

美味い。

熱くて、独特の香りがあって、麺にもコシがあって、喉を通るスープにもうまみがあった。

 

「そうか、俺はこれを食いたかったのか…」

長らく遠ざかっていたラーメンを全身で味わい、なぜか、喜びなのか安堵なのか自分でもよくわからなかったが、急に涙が出てきた。

他の誰からも見られることがないこの座席なら気にせず泣いたっていいだろう。

よくわからない感情のまま、泣きながらラーメンを食べ続けた。

 

腹が減っていたので、ついでに替え玉も頼んだ。

そして、流し込むように食べきり、丼を空けた。

 

久しぶりのラーメン補正、旅の終わり補正、そして空腹補正というわらゆる要素が加わったとはいえ、この時のラーメンの味は、まさしく「人生で最も美味い一杯」だった。

そしてこの店は、まだ福岡県以外には六本木と上野へ出店してまもない頃の、今では全国的な有名店となった「一蘭」さんだったのである。




 

思い残すことなくラーメンを食べたので、あとはもう飛行機に乗るのみだ。

地下鉄で福岡空港に向かい、月曜ならではのガランとしたターミナルを進む。

 

18:30頃のJASの便は、金曜日なら出張や単身赴任帰りの人で混雑するのだろうが月曜日だと乗客はまばらだった。

搭乗口近くのベンチも、のんびり荷物の写真を撮れるくらい空いていた。

 

ガラガラの機内で羽田まで過ごす間、明日から戻る日常に思いを馳せた。

さっそくだが明日はいきなり1限からスタートだ。
久しぶりに、英語のクラスのみんなに会える。

続く2限は学科の授業なので、ここでも同じ学科の友達に会える。
松潤ともまあここで会うことになるはずだ。
彼とはただ2日ぶりなだけだが、1週間異国でともに過ごした後だときっと変な気持ちになるのだろう。

バイトは、次いつだっけ?と思ったが、そもそも6月中に提出しなければいけない7月のシフト希望を出すことを完全に忘れていた。
やっちまった。
明日大学から帰ったら店に寄って、ちょっと謝りながら店長に出勤日を相談しよう。

 

そんな風に、日本の空を飛びながら自分の頭が少しずつ日常モードに近づいていくことを感じていた。

 

20時過ぎに羽田空港に着き、しばらく遠ざかっていた通勤電車の混雑にバックパック姿で突っ込んでいった。

すいませーんと小声で言いながら、バックパックやお土産を詰めた紙袋を頭上の網棚に押し込む。

高崎線が赤羽を過ぎ、荒川の鉄橋を渡る。
毎日通学で聞いてきたこの懐かしい轟音が、埼玉に帰ってきたのだという実感を湧かせた。

 

そして、22時前に浦和に到着。
旅立った時にはまだ軽かった荷物が、今では数も増え、中身も増え、重さも増していた。

2週間ぶりに両親や姉に会うのは、なんか気恥ずかしい感じがする。
でも、ケガもなく、トラブルもなく、望むことはすべて出来た上で帰ってくることができて、充足感に満ちた気持ちで玄関に近づいた。

 

ところが。

「クゥォーン、ワォーン」

と、家の中から聞き覚えのない声がする。

 

誰か来てるのか?
いや、こんな時間に犬を連れて来る客なんているはずがない。

怪訝な気持ちで家の中に入ると、母親が廊下に出てきた。

「あら、おかえり。元気だった?
あ、そうそう、犬、飼い始めたの。言ってなかったっけ?」

 

マジかよ! 完全に初耳だぞ!
てか2週間ぶりに息子が帰ってきたんだからもう少し感動しろよ!

と心底思ったが、ひとまず荷物を持ったまま居間へ。

すると、小さなケージの中に、まだろくに毛も生えていない小さな、それこそ手の平サイズくらいの犬がいて、俺の方にキャンキャン吠えているではないか。

 

いくらなんでも、韓国から帰ったら家で犬が暮らしているとは思ってもいなかった。

どうやら、昨日の日曜日に姉の知り合いの人経由でミニチュアダックスを授かったらしい。
オスだけどめちゃくちゃ小さい。

名前も既に姉と親が決めていて、当時一番ブームとなったサッカー選手の名前をもじって名付けられていた。

聞き慣れない彼のキャンキャンした声とともに、俺の1ヶ月の旅は終わりを迎えたのだった。




 

こうして思わぬ幕切れとなったこの1ヶ月あまりの日韓ワールドカップの旅は、それから続く新しい日々の始まりでもあった。

大会期間の序盤で触れたとおり、もともと高校時代に俺は父親とあまり話さなかったというか意識的に避けていた面もあったのだが、犬が来てくれたおかげで家族間の会話はそれまでとは段違いに増えていった。
些細なことや、他愛もないことも含めて。

 

俺は社会人になってから東北各地で一人暮らし続ける時期があったが、それでも忘れず俺になついてくれる犬がいてくれたおかげもあって、その時々で家庭の温かさというものを実感することができた。

彼は、2018年まで実家の大家さんとして元気に過ごしてくれた。
ダックスで16歳半まで生きたのはなかなかの大往生だったはずだ。

別れは辛かったが、その翌月に俺の長女が生まれた。
もしかしたら、長女は彼の生まれ変わりなのかもしれない。
いや、さすがにそれはないか。

でも、シャイなくせにところどころ失礼な態度をとるあたり最近ちょっと似てきた節もある。

 

ワールドカップ後の俺の方はというと、その後も大学生という自由な立場であるのをいいことに、2005年まではアウェイも含めて浦和のほぼ全試合に行った。

Jリーグ開幕から10年無冠のチームだったが、2003年にナビスコカップで初タイトルを獲り、2004年は2ndステージで優勝したもののチャンピオンシップではPK負け、2005年も最終節まで優勝を争いながら勝ち点1及ばず2位、それでも直後の天皇杯では優勝し、ACL出場権を手に入れた。

社会人になってからは東北での暮らしが続いたが、1年目の2006年にリーグ優勝、2年目の2007年にはインドネシアでのACLや中国でのA3にも行ったりしながらACL優勝と、最もダイナミックな変化があった5~6年を最前線で経験することができた。

また、ワールドカップを機に海外へ一人旅をすることにも不安がなくなり、2004年には3週間、2005年には1ヶ月半ヨーロッパを放浪し、大学卒業直前には南米にも行った。
そして、社会人になってからも、ほぼ毎年、1週間前後の休暇を作っては海外に行ってサッカー観戦と街歩きを繰り返した。

これらの経験は、間違いなく俺の人生の礎となった。

 

「若いうちに、できる限りいろいろな経験を積むべき」。

当時からきっとそうだと思って足を動かしてきたが、それは正解だったと強く思う。

 

この連載で再三登場したN藤さんや松潤も、今でも元気に過ごしているようだ。

N藤さんとはコロナ後は一度も会えていないが、今でも時々連絡をくれる。
高校生の頃から知っている俺が今は2児の父をしているなんて、きっと変な感じがしていることだろう。

松潤も、大学を卒業後、Jリーグクラブがある街を3つ引っ越しながら同じ仕事を続けている。
彼とは去年の3月に久しぶりに会えたが、いまだにお互い全然変わっていないことを強く感じた。

きっと爺さんになっても俺らはあまり変わらないだろう。

こういう関係が、これからもずっと続いてくれることを願っている。

 

このように20年前の日韓ワールドカップの頃を今振り返ってみると、自分の人生の中で本当に大切なものはこの頃からそう大きくは変わっていないということを強く実感する。

18歳という多感な時期に1ヶ月間の強烈な経験をしたことは、ちょっとまだ不安定だった いわゆる「自分らしさ」を固める上で大きな契機になったのだと思う。

そういう年頃で、今のところ唯一無二である自国でのワールドカップを全身で味わうことができたのは幸せだった。

 

おそらく、アクシデントがなければ、これまでのように人生も続き、旅も続き、フットボールも続く。
そして、形式は変われどワールドカップも続く。

本当に大切なものは、そう簡単には変わらない。

そんな、変わらない大切なものを、これからの人生でも愛し、楽しみ、没頭することができれば自分にとっては十分なのだと思う。

 

そう、18歳の頃の、この時の自分のように。

変わらずに。

 

【 完 】

 

<前回の6月30日分は コチラ

 

 20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』
目次はコチラ!

【目次】20周年記念 2002日韓ワールドカップ観戦記『魂の記憶』

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(この情報は2002年6月時点のもので
す。

 

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