6月23日(日)。
ワールドカップは金曜と土曜で準々決勝が終わり、日曜と月曜は再びインターバルとなる。
この2週間の旅の中でやりたいことがいくつかあり、その一つが夜行列車に乗ることだった。
ということで、今夜は光州から夜行列車でソウルに向かう。
宿泊と移動を兼ねることで宿代を節約したいという考えもあった。
そうはいっても、夜行列車が出る23時頃までかなり時間がある。
そこで、なんとなく港町なら風情がある場所なのかなと思い、光州からさらに南西にある木甫(モッポ)へ行くことにした。
予備知識は一切なし。
単に地図を見てその町の立地に惹かれたというだけの理由だ。
海に近い町ならできれば晴れてほしかったが、この日はあいにくの雨。
バックパックはチェックアウト後も宿に預かってもらうことにして、身軽な状態で駅に向かった。
光州から木甫までは準急か普通列車に相当する「トンイル」号で1時間ほど。
特になんてことのない風景だったが、数百円程度で乗れたことに驚いた。
木甫も、光州と同じく雨模様だった。
駅を出ると、観光地っぽくはないごく普通の町並みが続いている。
繁華街っぽいエリアはこのあたり。
だが、日曜日だからか閉まっている店が多い。
地図を見る限り、木甫には海を見下ろせるような丘の公園があるようだった。
本当はそこに行ってみたかったが、この天気なので景色が良いはずないので行くのはやめにした。
正直言ってやることもないので、喫茶店みたいな所に入って雨宿りを兼ねながらランチをして、適当な列車に乗ってどこか別の町へ行くことにしよう。
朝鮮半島の南西部の突き当りにある木甫は、終着駅であり始発駅でもある。
電光掲示板には、ソウル行きの「ムグンファ」号などが表示されていた。
改札を通り、ホームへ向かう。
列車はボロかったが、それはそれで風情がある。
日本におけるキハ40・48など国鉄型気動車のような、そんな列車旅だ。
この頃は日本でも青春18きっぷを使って髙山本線や紀勢本線、あるいは只見線や米坂線などで国鉄型気動車に乗った旅ができた。
その時のような風情を感じた数十分程度の列車旅だった。
もはや何という町かも忘れたが、適当な所で降り、町歩きをする。
ここではもう、雨はやんでいた。
セブンイレブンが2店舗同時に見えた。
FIFAのゲームってこの頃にもあったのだなと思う。
教会もあった。
ザ・韓国というような感じの路地。
ソウルでも釜山(プサン)でも地方でも、わりとどこに行ってもこういう路地はよくあった。
夕方になり、バックパックを宿に預けている光州に戻ることにした。
光州に着き、身軽なうちにそのへんの食堂で定食を食べ、一旦宿に戻る。
預けていたバックパックを出してもらい、宿のおじさんと別れた。
夜行列車の出発は23時頃なのでまだ時間があったが、やることもないので光州駅の待合室で2時間ばかりゆっくりする。
その間に、ここまでの7日間の旅で用が済んだ地図のコピーなど紙類を整理して捨てた。
こうして少しずつバックパックの重さを減らしていくのも重要だ。
待合室に出入りする人たちを眺めながら、ふと思った。
来週の今頃は、決勝戦。
つまり、ワールドカップが終わる頃なのだ。
長いと思っていたワールドカップも、残すところあと1週間。
俺が観戦する試合もあと2回となった。
試合も、その前後の日々も、ここからはより一層大切に噛みしめていこうと改めて思った。
そろそろソウル行きの夜行列車が来る頃だ。
バックパックと肩掛けカバンを持ってホームへ向かう。
今夜は夜行の「ムグンファ」号の座席車で過ごす。
6時間程度でソウルに着くので、値段が高くなる寝台車を使うまでもないという判断だ。
日曜の夜だけに座席車はガラガラで、空席を回転させて4人用ボックスのようにして一人で過ごせた。
車内で眠り始めるまでにそう時間はかからなかったが。1時頃だっただろうか、冷房が強く寒すぎて目が覚めた。
いつの間にか車内は減灯されていた。
暗がりを探るようにバックパックから長袖を引っ張り出して着込んだ。
またそのまま眠り、5時頃、長い鉄橋を渡っている音で意識が戻った。
韓国と日本に時差はない。
それでいて、日本より西に位置する韓国では日の出も日の入りも日本より遅い。
6月の日本ならもっと日の出は早いが、韓国では遠くにビルの陰がうっすら見える程度の明るさだった。
その景色を見て、首都ソウルに近づいているのだなと感じたのだった。
けだるい空気の中、列車は終点のソウルに着いた。
6月24日(月)の朝だ。
さすがに大きな駅だったが、人の姿は少ない。
駅前に出ても、街はまだ目覚める前だった。
今日は特にやることがない月曜日だ。
さすがに早すぎる時間なので、駅の所にあるマックで朝マックをしながら時間を潰した。
韓国も朝マックっていうのだろうか。
マフィンを食べ、日本より大きなサイズに感じたコーヒーも飲み切る頃には、ソウル版の通勤ラッシュの時間帯になっていた。
その波を逆行するように、都心から離れる地下鉄に乗った。
この日から4泊5日する宿に、ひとまずバックパックを預けたかったのだ。
ソウルでの宿は、インターネットから予約できるユースホステルを確保しておいた。
蚕室(チャムシル)のオリンピックパークの中にある巨大なユースだ。
地下鉄からも便利な立地なので、試合観戦も街歩きも問題なく過ごせるだろう。
地下鉄を降り、散歩している人もたくさんいる広々とした道を通ってユースホステルに向かった。
受付で、今日から4泊するんだけど荷物を預かってくれない?と英語で聞いたら、朝だけどあいてる部屋あるからもう使っていいよ、と言われた。
まだ9時とか10時といった早さなのになんという寛大さ。
案内された部屋に行くと6人部屋で、たしかに誰もいなかった。
この日に限らず、夜行列車で夜を明かした後は体の疲れはかなり残っている。
とりあえず部屋でゆっくり過ごせる状態に荷物を整えて、昼過ぎまで寝かせてもらった。
目が覚めると、太陽はすっかり高い位置に上っている。
まるで昼夜逆転型のダメ大学生みたいな起き方だ。
(なおこの週も毎日大学をサボっている。)
ベッドにバックパックをロック付きワイヤーでくくりつけ、肩掛けバッグで外へ出た。
心地よい晴天。
まずは、サッカーファンなら行かなければならない、蚕室の競技場の外を一周した。
日本代表が何度も韓国代表に挑み、跳ね返されたこのスタジアム。
それでも俺にとって一番記憶に残っていたのは、1997年のフランスワールドカップ アジア最終予選、残り2試合目での日韓戦だった。
韓国は余裕のある状態だったが、日本は崖っぷち。
その中で、呂比須と名波のゴールで日本は0-2で勝った。
当時中学2年生だった俺は土曜日の午後で部活の真っ最中だったが、この日だけは顧問の先生が特別に職員室でテレビを見ることを許可してくれた。
今思えば、先生も部活の指導なんてしてないでこの試合の中継を見たかったのだろう。
その勝利が半月後の「ジョホールバルの歓喜」に繋がり、日本代表にとって初めてのワールドカップだったフランス大会に繋がり、その4年後、この日韓ワールドカップに繋がっている。
そう思うと、単なる4年半前の出来事なんかではなく、今自分が立っているこの日のこの場所に直結しているもののように感じられた。
韓国での日韓戦がソウルで開催される時はきっと蚕室ではなくワールドカップスタジアムが舞台になるとは思うが、いつか蚕室でやる試合を見にまたここへ来たいと思ったのだった。
(なお、「蚕室での日韓戦」としてはこの11年後の2013年にE-1最終戦がここで開催され、この試合で勝った日本がこの大会の優勝を決めている)
明日からは親友との二人旅になるので、なにも今日欲張って遊びまわる必要はない。
ということで、その後は安い食堂やいろいろ売っている露店がある南大門のあたりをぶらぶらすることにした。
韓流ブーム直前だったこの頃の日本では韓国語はそこまでポピュラーではなかったが、逆にソウルではここまで日本語のわかる人がたくさんいるのかということに驚いた。
客引きのおっさんおばちゃんはみんな日本語で声を掛けてくるし、食堂のメニューでも日本語が併記されていることが珍しくなかった。
ソウルのもっとディープな所は明日以降に行くことにしよう。
いざ現地に身を置くと、ソウルの街歩きもなかなか楽しくなってきた。
川を渡る時、夕日と鱗のような雲と空の模様が綺麗だった。
まだ空がうっすら明るい頃に蚕室のユースホステルへ戻る。
俺の6人部屋には外人が一人いたが、位置が遠かったので適当に挨拶してあとは個々に過ごした。
俺の性格としては、寝る場所くらいはあんまり干渉されずに過ごしたかったのでこれがちょうどいい温度感だった。
明日の夜は準決勝。
俺が観戦する15試合の中でもっともランクが高い試合となる。
中2日のインターバルで心身ともにリフレッシュできた。
あとは楽しむだけだ。
<前回の6月22日分は コチラ >
<次回の6月25日分は コチラ >
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(この情報は2002年6月時点のものです。)
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